伊藤整

伊藤整

伊藤整(1905年1月16日~1969年11月15日)日本小說家、文藝評論家、東京工業大學教授。出生於北海道小樽市,昭和初期受英國作家詹姆斯·喬伊斯的影響,倡導“新心理主義”,並翻譯喬伊斯的名作《尤利西斯》。其著作《得能五郎的生活與意見》、《鳴海仙吉》、《泛濫》等,均屬於注重自身體驗的“私小說”。評論有《日本文壇史》、《小說的認識》、《近代日本的文學史》等。1990年小樽市為紀念伊藤整創設了“伊藤整文學賞”。

生平簡介


伊藤整
伊藤整
伊藤整,生於北海道松前郡一教師家庭。小樽高等商業學校畢業后,於1928年進東京商科大學深造。翌年創辦《文藝評論》雜誌,致力於愛爾蘭作家喬伊斯的介紹,並根據喬伊 斯的文藝理論,提出所謂“新心理主義文學”,長篇小說《得能五郎的生活和意見》(1940)就是按照這種理論寫成。小說沒有完整的情節和結構,通篇都是主人公新聞記者得能五郎縱談天下大事。
此後,伊藤除在北海道大學、東京工業大學任教外,還研究奧地利心理學家弗洛伊德和英國作家勞倫斯的作品,並因譯勞倫斯的《恰特里夫人的情人》,被指控為“散布色情文學”而起訴,文藝界知名人士紛起支援,開展有組織的抗議運動。1950年發表的長篇小說《鳴海仙吉》,被認為是《得能五郎的生活和意見》的戰後版,反映了他對生活和藝術的現代派觀點。小說寫一天之內的事,使用從詩歌到戲劇等現代文學的一切形式,描寫知識分子在戰後混亂、動蕩不安之中的生活和心理狀態,一般認為是受喬伊斯的《尤利西斯》的啟迪。長篇小說《火鳥》(1949~1953)以意識流的某些表現手法,採用正敘和回憶結合的方式,以略帶憂鬱的抒情風格,通過薔薇座劇團青年男女演員的生活道路和失敗命運,反映了日本戰後初期錯綜複雜的社會生活。他在《群象》文學月刊連載長達17年之久的《日本文壇史》,獲1963年菊池寬文學獎。1965年曾任日本近代文學館理事長。1969年11月15日因胃癌去世。
長子:伊藤滋(都市工學、東京大學名譽教授、早稲田大學教授、前慶應義塾大學教授)
次子:伊藤禮(前日本大學藝術學院教授、英文學者)

主要作品


詩集

『雪明りの路』(椎の木社、1926年)
『冬夜』(近代書房、1937年)

小說

『生物祭』(金星堂、1932年)
『イカルス失墜』(椎の木社、1933年)
『石を投げる女』(竹村書房、1938年)
『街と村』(第一書房、1939年)
『典子の生きかた』(細川書店、1947年)
伊藤整
伊藤整
『吉祥天女』(金星堂、1940年) 『祝福』(河出書房、1940年)
『得能五郎の生活と意見』(河出書房、1941年)
『得能物語』(河出書房、1942年)
『故郷』(協力出版社、1942年)
『父の記憶』(利根書房、1942年)
『童子の像』(錦城出版社、1943年)
『霧氷』(三笠書房、1940年)
『青春』(河出書房、1938年)
『鳴海仙吉』(細川書店、1950年)
『花ひらく』(朝日新聞社、1953年)
『火の鳥』(光文社、1953年)
『感傷夫人』(中央公論社、1956年)
『誘惑』(新潮社、1957年)『氾濫』(新潮社、1958年)
『泉』(中央公論社、1959年)
『虹』(中央公論社、1962年)
『同行者』(新潮社、1969年)
『変容』(岩波書店、1968年)
『花と匂い』(新潮社、1970年)
『年々の花』(未完)(中央公論社、1970年)

評論、隨筆等

『小說の運命』(竹村書房、1937年)
『芸術の思想』(砂子屋書房、1938年)
『現代の文學』(河出書房、1939年)
『文學と生活』(昭和書房、1941年)
『戦爭の文學』(全國書房、1944年)
『小說の問題』(大地書房、1947年)
『文學の道』(南北書園、1948年)
『小說の方法』(河出書房、1948年)
『我が文學生活』(細川書店、1950年)
『性と文學』(細川書店、1951年)
『裁判』(築摩書房、1952年)
『日本文壇史』(未完)『文學入門』(光文社、1954年)
『女性に関する十二章』(中央公論社、1954年)
『文學と人間』(角川書店、1954年)
『文章読本』(河出書房、1954年)
『ジョイス研究』(英寶社、1955年)
『小說の認識』(河出書房、1955年)
『伊藤整氏の生活と意見』(河出書房、1953年)
『芸術は何のためにあるか』(中央公論社、1957年)
『夏目漱石研究』(新潮社、1958年)
『近代日本の文學史』(光文社、1958年)
『作家論』(角川書店、1964年)
『ヨーロッパの旅とアメリカの生活』(新潮社、1961年)