岡潔/胡蘭成
岡潔/胡蘭成
光緒32年(1906)中國の浙江省に生まれる。燕京大學を國民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辭職、ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。1950年に日本に政治亡命し、一時期台灣の中國文化學院大學で教えたことから、同大學永世教授の稱號を受けた。昭和56年に沒する
明治34年、大阪府に生れるが、早く和歌山県の父祖の地に移って、中學校までをそこに送る。第三高等學校在學中に數學に関心し、京都帝國大學卒業後、三年間のフランス留學を挾んで研究が始められたその解析関數論は、すでに昭和10年代に世界的に認知された。戦後も発明を加えた業績によって、昭和35年に文化勲章を受章し、國內において一躍また名を知られた頃から、多年に亘る思索のなかで深められた情緒を基底に、日本の文化、教育面について積極的になされるようになった警世の発言は、巷間に伝えられた奇行と相俟って、共感を交えた大きな反響を呼び、一數學者を越えて、思想家として一世を風靡した感があった。昭和53年沒
光緒32年(1906)中國の浙江省に生まれる。燕京大學を國民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辭職、ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。1950年に日本に政治亡命し、一時期台灣の中國文化學院大學で教えたことから、同大學永世教授の稱號を受けた。昭和56年に沒する