村上天皇
村上天皇
第62代天皇:村上天皇(むらかみてんのう)諱:成明(なりあきら)羅馬音:Nariakira(926-967),在位(946-967)醍醐天皇的第十四皇子,日本第62代天皇,前任朱雀天皇。母為藤原基經之女中宮穩子。第61代朱雀天皇同母弟。
人物關係
天慶七年(944年)四月二十二日立為皇太子。天慶九年(946年)四月二十日朱雀天皇讓位,同月二十八日成明踐祚。
先代天皇的外舅藤原忠平於村上帝即位后仍擔任關白,天歷三年(949年)忠平去世,天皇不設攝政,自己親政,從而成為延喜(朱雀天皇年號)后的親政典範,但政權實際上仍掌握在攝關家的藤原實賴、藤原師輔兄弟手中。另外,村上帝之母中宮穩子以朱雀法皇(天皇退位后出家稱法皇)的名義對作為“幼帝”的村上進行“監護”,所以所謂親政也不過是有名無實。
935——940年,平將門、藤原純友引發“承平天慶之亂”,宮中財政窘迫,天皇不得不厲行儉約,安撫民眾以求得社會安定。
天德四年(960年),皇宮大火。
文化方面,天歷五年(951年),村上帝下令編纂《后撰集》。天德四年(960年)於皇宮內里舉行盛大歌會。村上帝本人亦是和歌擁護者,傳說著有《清涼集》。村上帝亦精通琴、琵琶等樂器。他被稱作是“使平安文化大放異彩的天皇”。
政治方面,村上帝一手創造的“天歷之治”令後世敬仰。村上帝時代,攝關政治基礎進一步加固,吏治清明,法令嚴明。
967年7月5日(康保四年五月二十五日),村上帝以四十二歲壯年之齡駕崩。自后,除安德天皇與后醍醐天皇外,所有天皇均以院號為謚,再次啟用漢風謚號是在900多年後的光格天皇。
另,村上帝將皇子具平親王賜姓源氏,降為臣籍,開“村上源氏”之先河,在以後的宮廷政治中具有巨大的影響力。
村上帝死後,以皇陵所在地謚號為”村上“,一條帝時追謚”村上院“。
在位年號:天慶、天歷、天德、應和、康保。
年月日(西暦) | 摂政 | 関白 | 太政大臣 | 左大臣 | 右大臣 | 內大臣 | 大納言 | 権大納言 | 中納言 | 権中納言 | 參議 |
天慶9年4月28日 (946年5月31日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原忠文・伴保平・源庶明・源兼明・藤原在衡・藤原師氏・藤原師尹 | |||||
天暦元年4月26日 (947年5月19日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原在衡 | 源兼明・藤原忠文・伴保平・源庶明・源等・藤原師氏・藤原師尹・小野好古 | ||||
天暦元年6月26日 (947年7月16日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原在衡 | 源兼明・伴保平・源庶明・源等・藤原師氏・藤原師尹・小野好古 | ||||
天暦2年正月30日 (948年3月13日) | 藤原忠平 | 藤原忠平 | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠 | 藤原元方・源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・伴保平・源庶明・平隨時・源等・藤原師氏・小野好古 | |||
天暦3年正月17日 (949年2月17日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠 | 藤原元方・源高明・藤原在衡 | 藤原師尹・ | 源兼明・伴保平・源庶明・平隨時・源等・藤原師氏・小野好古 | |||||
天暦4年2月1日 (950年2月20日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 源清蔭・藤原顕忠 | 藤原元方・源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・伴保平・源庶明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源等・小野好古 | |||||
天暦4年7月3日 (950年8月18日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠 | 藤原元方・源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・伴保平・源庶明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源等・小野好古 | |||||
天暦4年10月15日 (950年11月27日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠 | 藤原元方・源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・源庶明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源等・小野好古 | |||||
天暦5年正月30日 (951年3月10日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原在衡・藤原師尹 | 源庶明 | 源兼明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源等・源正明・源雅信・小野好古 | |||||
天暦5年3月10日 (951年4月18日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原在衡・藤原師尹 | 源庶明 | 源兼明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源正明・源雅信・小野好古 | |||||
天暦6年12月1日 (952年12月20日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・藤原元方 | 源高明・藤原在衡・藤原師尹 | 源庶明 | 源兼明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源正明・源雅信・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦7年3月21日 (953年5月6日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠 | 源高明・藤原在衡・藤原師尹 | 源庶明 | 源兼明・大江維時・平隨時・藤原師氏・源正明・源雅信・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦7年9月25日 (953年11月4日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・藤原師尹・源庶明 | 源兼明 | 大江維時・平隨時・藤原師氏・源正明・源雅信・大江朝綱・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦7年12月18日 (954年1月25日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・藤原師尹・源庶明 | 源兼明 | 大江維時・藤原師氏・源正明・源雅信・大江朝綱・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦8年3月14日 (954年4月19日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・藤原師尹・源庶明 | 源兼明 | 源兼忠・大江維時・藤原師氏・源正明・源雅信・大江朝綱・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦9年2月7日 (955年3月3日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・藤原師尹・源庶明 | 源兼明・藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源正明・源雅信・大江朝綱・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦9年5月20日 (955年6月12日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源正明・源雅信・大江朝綱・藤原朝忠・小野好古 | |||||
天暦9年7月24日 (955年8月14日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 源兼明・藤原在衡・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源正明・源雅信・大江朝綱・藤原朝忠・藤原有相・小野好古 | |||||
天徳元年12月28日 (958年1月20日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源正明・源雅信・藤原朝忠・藤原有相・小野好古 | |||||
天徳2年正月30日 (958年2月21日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源正明・源自明・源雅信・藤原朝忠・藤原有相・小野好古 | |||||
天徳2年3月9日 (958年3月31日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源自明・源雅信・藤原朝忠・藤原有相・小野好古 | |||||
天徳2年4月17日 (958年5月8日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源兼忠・源雅信・藤原朝忠・藤原有相・小野好古 | |||||
天徳2年7月1日 (958年7月19日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源雅信・藤原朝忠・藤原有相・小野好古 | |||||
天徳2年閏7月28日 (958年9月14日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源雅信・藤原朝忠・藤原有相・小野好古・藤原元名・藤原朝成・橘好古 | |||||
天徳3年5月9日 (959年6月17日) | 藤原実頼 | 藤原師輔 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源雅信・藤原朝忠・小野好古・藤原元名・藤原朝成・橘好古 | |||||
天徳4年5月4日 (960年5月31日) | 藤原実頼 | 藤原顕忠・源高明 | 藤原在衡・源兼明・藤原師尹 | 藤原師氏 | 大江維時・源雅信・藤原朝忠・小野好古・藤原元名・藤原朝成・橘好古 | ||||||
天徳4年8月22日 (960年9月15日) | 藤原実頼 | 藤原顕忠 | 源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・大江維時・藤原師氏 | 源雅信・藤原朝忠・小野好古・源重信・藤原元名・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹 | |||||
応和2年6月7日 (962年7月11日) | 藤原実頼 | 藤原顕忠 | 源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏 | 源雅信・藤原朝忠・小野好古・源重信・藤原元名・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹 | |||||
応和3年9月4日 (963年9月24日) | 藤原実頼 | 藤原顕忠 | 源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏・藤原朝忠 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原元名・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹・藤原頼忠 | |||||
応和4年2月23日 (964年4月8日) | 藤原実頼 | 藤原顕忠 | 源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏・藤原朝忠 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹・藤原頼忠 | |||||
応和4年3月27日 (964年5月11日) | 藤原実頼 | 藤原顕忠 | 源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏・藤原朝忠 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹・藤原頼忠・源重光 | |||||
康保2年4月24日 (965年5月27日) | 藤原実頼 | 源高明・藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏・藤原朝忠 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹・藤原頼忠・源重光 | ||||||
康保3年正月17日 (966年2月10日) | 藤原実頼 | 源高明 | 藤原在衡 | 藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏・藤原朝忠 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・橘好古・藤原伊尹・藤原頼忠・源重光 | |||||
康保3年9月17日 (966年11月2日) | 藤原実頼 | 源高明 | 藤原在衡・藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏・藤原朝忠 | 橘好古 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・藤原伊尹・藤原頼忠・源重光・源延光 | |||||
康保3年12月2日 (967年1月15日) | 藤原実頼 | 源高明 | 藤原在衡・藤原師尹 | 源兼明・藤原師氏 | 橘好古 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・藤原伊尹・藤原頼忠・源重光・源延光 | |||||
康保4 年正月20日 (967年3月3日) | 藤原実頼 | 源高明 | 藤原在衡・藤原師尹 | 源兼明 | 藤原師氏・橘好古 | 藤原伊尹 | 源雅信・小野好古・源重信・藤原朝成・藤原頼忠・源重光・源延光・藤原文范 |
《清涼集》
中宮:藤原安子(927-964) - 右大臣藤原師輔長女
——皇子(946、夭逝)
——第一皇女:承子內親王(948-951)
——第二皇子:憲平親王(冷泉天皇)(950-1011)
——第四皇子:為平親王(952-1010) - 一品式部卿
——第七皇女:輔子內親王(953-992) -伊勢神宮
——第九皇女:資子內親王(955-1015) - 一品准三宮
——第七皇子:守平親王(圓融天皇)(959-991)
——皇女(962、夭逝)
——第十皇女:選子內親王(大斎院)(964-1035) -賀茂神社
齋宮女御:徽子女王(929-985) - 式部卿重明親王長女
——第四皇女:規子內親王(949-986) - 伊勢神宮
——第八皇子(962、同日沒)
麗景殿女御:荘子女王(930-1008) - 中務卿代明親王女
——第六皇女:樂子內親王(952-998) - 伊勢神宮
——第九皇子:具平親王(後中書王)(964-1009) - 二品中務卿
弘徽殿女御:藤原述子(933-947) -左大臣藤原實頼三女
宣耀殿女御:藤原芳子(?-967) -大納言藤原師尹女
——第六皇子:昌平親王(956-961)
——第十皇子:永平親王(965-988) - 四品兵部卿
更衣:源計子(廣幡御息所) -中納言源庶明女
——第二皇女:理子內親王(948-960)
——第五皇女:盛子內親王(951-998) - 左大臣藤原顯光室
更衣:藤原正妃(按察御息所)(?-967) - 左大臣藤原在衡女
——第三皇女:保子內親王(949-987) - 攝政藤原兼家室
——第三皇子:致平親王(951-1041) - 四品兵部卿
——第五皇子:昭平親王(源昭平)(954-1013) - 四品常陸太守
更衣:藤原祐姫- 大納言藤原元方女
——第一皇子:廣平親王(950-971) - 三品兵部卿・大宰帥
——第八皇女:緝子內親王(?-970)
更衣:藤原脩子(中將更衣) -藤原朝成女
更衣:藤原有序(弁更衣) -藤原有相女
後宮:藤原登子- 右大臣藤原師輔女(元・式部卿重明親王繼室)、後來為尚侍
村上帝勵精圖治,整頓吏治,重視文化發展,使日本國泰民安,社會穩定,經濟得到進一步發展。但他未能繼續擴大天皇權力,在位期間攝關家勢力反而不斷膨脹。