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信州

日本地名

信濃國(しなの)(Shinano):屬東山道,俗稱信州、科野。石高約37萬石(慶長時)。現在之長野縣。養老五年(721)分置南部為諏訪國,天平三年 (731)再次合併。平安時代之莊園重地、牧馬區之一。因為地理位置特殊,在戰國時代是甲斐武田家與越後上杉家爭奪的焦點。明治四年廢藩置縣後分置長野、築摩兩縣,明治九年合併為長野縣。

特點


險要的山地地形有利於防守。被十國所包圍,周圍勢力虎視眈眈。石高:40.8萬石
分郡:伊那、諏訪、築摩、安曇、更級、水內、高井、埴科、小縣、佐久
人口:700年8萬,1600年27萬,1721年83萬。(超長期都道府県人口の推移)
主要特產名物:蕎麥、牛、熊、木材、鯉魚料理
代表風土:諏訪湖、鏡台山、善光寺、桔梗原、溫泉鄉、西宮歌舞伎、淺間山、布引觀音
主要勢力:小笠原氏,諏訪氏,真田氏,高梨氏,木曾氏,村上
氏,高遠氏

梗概


本州中間位置的東山道之國。是南北較長的內陸國,被上野,武藏,甲斐,駿河,三河,遠江,美濃,飛騨,越中,越后十國所包圍。因此戰略位置極其重要,且處於國土防衛的劣勢。幸好還可以較高的山嶽作為防禦屏障,一定程度上阻擋外界入侵。

勢力分佈


東邊通過白根山,妙義山等山系與上野國相接,通過關東山地與武藏國相接,通過赤石山脈與甲斐國相接。西以飛騨山脈與越中國,飛騨國相接,通過木曾山脈與美濃國相接。北部的妙高山系和東頸城丘陵是與越后國分界線,南部通過木曾山脈與赤石山脈同駿河國、遠江國、三河國接壤。平原部分以千曲川流域的長野盆地為最大,此外還有諏訪湖畔的諏訪盆地,天龍川流域的伊那,築摩山脈中的松本盆地等。河流有注入太平洋的天龍川和木曾川,通向日本海的千曲川和犀川。以上兩大水系將該國分成南北兩部分,並形成了南信,中信,北信,東信等四個文化圈。此地一直由一些小大名所割據,一時由守護小笠原家統一,後由於小笠原內部的分裂,導致國人領主們的飛速成長,轉變成了戰國大名。高井郡的高梨家,植科郡的村上家,伊那郡的高遠家,安曇郡的仁科家,諏訪郡的諏訪家,佐久郡的大井家,南信濃木曾家以及守護小笠原家都是強有力的地方豪族:但一直未有能夠領有信濃一國的大大名出現,直到甲斐武田家統一信濃。而對此有危機感的上杉家,則與武田家在北信濃川中島激戰了五次。其中最激烈的是第四次,雙方都付出了慘痛的代價。

其它資料


南信濃的小笠原氏與北信濃的村上氏一直在信濃國內處於主要競爭狀態,但這種格局隨著1540年代甲斐武田家的入侵而發生了改變。1540年開始入侵佐久郡的武田信虎,於次年在攻擊了諏訪,村上,海野幾家之後,被子信玄所流放,而武田信玄則繼續著之後的信濃入侵。1542年,信玄擊破了諏訪賴重,高遠賴繼等;1546年攻降佐久郡的大井貞清;1547年又在佐久郡擊破上杉憲政的部隊;1548年雖然被村上義清所敗,但在鹽尻崗擊破了小笠原氏。1550年,再次被村上義清擊破后,信玄開始誘降信濃國人,最後終於擊敗村上義清迫使其逃往越后,依附於越后的長尾景虎(也就是後來的上杉謙信)。之後隨著信玄逐步在信濃擴大勢力,感到危機的上杉謙信應村上義清等信濃國人之邀於1553年第一次出兵川中島。為了為北信濃諸將恢復舊領,謙信與信玄分別在1553,1555,1557,1561,1564年在川中島對陣五次。在這一連串戰鬥中,第四次川中島之戰,就任了關東管領的謙信打算掃平信濃內的武田軍,在海津附近於武田軍激戰。此戰信玄之弟武田信繁等大批大將戰死的情況下,最終擊退上杉軍,為統治信濃奠定了基礎。自1558年信玄就任信濃守護后,名副其實地成為了真正的信濃守護。之後信濃作為信玄的最重要分國,信濃眾隨信玄四處轉戰,直到1582年武田家滅亡之前,信濃國內未有什麼大的變故。
1582年,武田家的木曾義昌不堪領內重賦,背叛武田家。見時機成熟織田信長隨即起兵攻打武田,武田勝賴兵敗於天目山自殺,甲斐的名門武田家滅亡。戰後,信長派遣森長可,瀧川一益,木曾義昌,河尻秀隆,穴山信君,毛利秀賴等分治信濃。本能寺事變后織田家武將接連退走,信濃被上杉,德川,北條等侵略。結果,北信濃,水內、高井、更級、埴科四郡被上杉景勝取得;伊那,諏訪二郡被德川家康取得;佐久,小縣二郡被北條氏政所統治,安雲郡、築摩郡北部被小笠原貞慶取得,築摩郡南部被木曾義昌取得,之後除了北信濃四郡外,其餘均由德川家取得。1590年隨著北條家滅亡,德川家康移封關東,信濃被封給了仙石,石川,真田等豐臣系大名。關原戰後,信濃再次處於家康支配下,此後一直延續著由諏訪,真田等信濃出身的武將的小藩分制統治。

歷任信濃守護


鎌倉幕府
1190年~1203年 - 比企能員
1203年~1221年 - 北條義時
1225年~1246年 - 北條重時
1265年~? - 北條義宗
1280年~? - 北條久時
1310年~? - 北條基時
?~1332年 - 北條仲時
室町幕府
1336年 - 小笠原貞宗
1338年~? - 村上信貞
1342年~1347年 - 小笠原貞宗
1347年~1352年 - 小笠原政長
1355年~1365年 - 小笠原長基
1366年~1377年 - 上杉朝房
1384年~1387年 - 斯波義種
1387年~1399年 - 斯波義將
1398年~1399年 - 斯波義重
1399年~1401年 - 小笠原長秀
1401年~1402年 - 斯波義將
1402年~? - 幕府直轄
1419年~1423年 - 細川持泰
1425年~1442年 - 小笠原政康
?~1446年 - 小笠原宗康
1446年~1450年 - 小笠原光康
1451年~1453年 - 小笠原持長
1453年~1461年 - 小笠原光康
1463年~1477年 - 小笠原政秀
1477年~? - 上杉房定
?~1542年 - 小笠原長棟
1542年~1550年? - 小笠原長時
1559年~1573年 - 武田晴信(信玄)
1574年~1582年 - 武田勝賴

歷任信濃國司


飛鳥·奈良時代

信濃守
小治田宅持(708年)
佐伯沙彌麻呂(714年)
巨勢又兄(731年)
物部依羅人曾(746年)
坂合部金綱(747年)
佐伯大成(757年)
忌部鳥麻呂(757年)
藤原繼繩(764年)
三川王(764年)
太犬養(766年)
藤原楓麻呂(769年)
菅生王(772年?)
多治比豐滿(772年)
石川望足(774年)
大原凈貞(778年)
大伴不破麻呂(778年)
紀家繼(781年)
中臣鷹主(785年)
縣犬養堅魚麻呂(786年)
藤原乙叡(790年)
信濃介
谷綿麻呂(738年?)
紀僧麻呂(761年)
當麻王(767年)
濃宜公水通(768年)
弓削大成(769年)
田口水直(770年)
多治比賀智(786年)
平群清麻呂(790年)

平安時代

信濃守
笠江人(795年左右?)
宇智王(813年)
菅原清公(826年)
紀百繼(828年)
南淵弘貞(833年)
源弘(833年)
清原長谷(833年)
源弘(再任) (835年)
藤原大津(836年)
興世書主(840年)
紀綱麻呂(權守)(841年)
小野篁(848年)
藤原助(851年)
久賀三夏(852年)
平實雄(853年)
源多(858年)
南淵年名(858年)
橘安吉雄(權守) (861年)
在原行平(862年)
橘安吉雄(由權守升為守) (864年)
源穎(867年)
藤原水谷(權守) (869年)
滋野善根(870年)
出雲廣貞(權守) (870年以前?)
興基王(權守) (870年)
紀有常(權守) (871年)
在原守平(874年)
源包(878年)
橘有蔭(884年左右?)
橘良基(884年)
源近善(權守) (884年左右?)
源道(權守) (886年)
藤原諸房(887年)
源定有(權守) (887年左右?)
藤原扶干(895年)
源實(899年)
源義(899年左右?)
源清蔭(權守) (907年)
小乃清實(908年以前?)
源惠(908年)
源是茂(權守) (915年)
藤原忠房(權守) (916年)
橘公賴(923年)
平時望(權守) (924年)
源師尚(925年以前?)
藤原公葛(925年)
源宗千(925年)
源善延(927年左右?)
高階師尚(936年)
藤原良載(936年以前?)
源公家(938年以前?)
源師保(944年以前?)
紀文干(944年左右?)
源重光(權守) (950年)
源信明(953年)
源經基(961年以前?)
藤原永年(961年以前?)
源惟正(961年)
平維茂(969年)
藤原陳忠(982年左右?)
藤原在國(權守) (988年)
藤原惟正(992年左右?)
藤原隆家(權守) (993年)
源滿仲(997年以前?)
佐伯公行(998年以前?)
中原致時(998年)
源道方(權守) (1001年)
源濟政(1002年)
源定長(1004年以前?)
藤原佐光(1004年)
藤原弘道(權守) (1007年)
源道成(1022年以前?)
藤原惟任(1022年左右?)
藤原信理(1023年以前?)
藤原保資? (1027年左右?)
菅原忠貞(1032年以前?)
藤原家經(1032年)
源賴親(1040年以前?)
源孝義(1040年)
源經隆(1047年左右?)
藤原伊綱(1057年以前?)
橘俊通(1057年)
源國信(權守) (1079年)
藤原敦憲(1080年左右?)
藤原家綱(1089年左右?)
藤原定仲(權守) (1095年左右?)
藤原永清(1096年左右?)
藤原師光(1096年)
藤原永實(1100年左右?)
藤原齋長(1105年以前?)
高階為行(1107年左右?)
大江廣房(1108年)
大江廣仲(1112年以前?)
藤原惟明(1112年)
藤原兼定(權守) (1116年左右?)
平盛基(1118年左右?)
源國房(1119年以前?)
源重時(1120年)
藤原盛重(1127年)
藤原重萬(權守) (1130年左右?)
大江季重(權守) (1132年)
源義綱(1132年以前?)
藤原親隆(1132年)
藤原朝隆(1139年)
藤原賢行(1143年)
藤原親康(權守) (1146年)
藤原清道(1148年)
藤原長親(權守) (1149年左右?)
藤原行道(1156年左右?)
藤原顯賢(1157年)
藤原是憲(1158年)
源重成(1159年)
藤原伊輔(1160年)
藤原親經(權守) (1160年)
藤原伊輔(再任) (1163年)
藤原隆雅(1168年)
藤原實教(1172年)
大江泰友(權守) (1174年)
藤原盛長(1179年左右?)
藤原景清(1180年)
大江成棟(權守) (1182年以前?)
藤原能成(權守) (1183年)
加加美遠光(1185年)
藤原資經(1190年)
中原兼遠(權守)(年代不詳)
佐佐木泰清(年代不詳)
源有房(年代不詳)
信濃介
石川清主(795年左右?)
藤原繼業(不久成為信濃守) (799年左右?)
和弟長(804年)
坂本佐太氣麻呂(806年)
安部安仁(828年)
藤原貞守(841年)
下毛野文繼(842年)
伴御園(846年)
佐伯雄勝(848年)
紀再弟(852年)
清原秋雄(852年)
紀道茂(854年)
藤原秀道(857年)
田口統范(權介) (858年)
紀冬雄(861年)
藤原是繩(權介) (864年)
有宗益門(權介) (865年)
大春日吉野(865年)
滋野恆蔭(868年)
佐伯子房(權介) (873年左右?)
藤原恆實(權介) (878年)
橘茂蔭(879年左右?)
藤原有令(884年)
良岑唯實(885年)
小野滋蔭(893年)
藤原恆佐(權介) (898年)
小野美材(權介) (899年)
紀淑望(權介) (913年)
藤原俊蔭(權介) (917年)
藤原顯忠(權介) (925年)
三統公忠(權介) (941年)
高向行方(979年)
丹波茂忠(權介) (981年)
平保忠(984年)
平景盛(權介) (998年)
清岳光明(權介) (999年)
伴貞資(1033年)
平康清(1176年)
大中臣盛實(權介) (1178年)
中原國盛(權介) (1181年)
藤原良實(權介) (1181年)

鎌倉時代

信濃守
源遠義(1194年左右?)
卜部兼直(權守) (1199年)
藤原長兼(1202年)
藤原公信(權守) (1203年)
藤原資賴(1203年)
藤原家時(1205年)
藤原基綱(1206年)
藤原隆綱(1210年)
藤原隆衡(1213年左右?)
藤原親輔(權守) (1217年)
藤原隆雅(1226年)
藤原信忠(1227年)
源賴俊(1231年)
藤原公佐(1232年以前?)
源輔通(1232年)
藤原宗范(權守) (1233年)
諏訪信重(權守) (1239年左右?)
源季遠(權守) (1243年)
源通教(1255年)
源泰清(1258年)
源秀清(1258年左右?)
藤原教房(1258年以前?)
源通賴(1260年)
小笠原長忠(1264年以前?)
藤原行實(1268年)
藤原行章(1274年)
藤原親世(1287年左右?)
安倍雅遠(1288年)
藤原雅任(1289年)
小笠原長政(1294年以前?)
二階堂行貞(1295年)
三善時運(1298年)
荒井賴任(1303年左右?)
小笠原長氏(1310年以前?)
三條實治(權守) (1330年)
小笠原宗長(1330年以前?)
清原某(1333年)
赤松范資(1333年左右?)
伊東祐光(年代不詳)
信濃介
藤原祐康(1205年)
藤原實嗣(1206年)
藤原實親(權介) (1206年)
藤原盛兼(1219年)
藤原親季(權介) (1223年)
藤原兼賴(1229年)
大江景賴(權介) (1231年)
藤原雅平(權介) (1241年)
藤原公齋(權介) (1243年)
藤原茂通(權介) (1249年)
源具守(1260年)
藤原季顯(權介) (1267年)
藤原通雄(權介) (1272年)
源為雄(1274年)
藤原實時(權介) (1274年)
藤原長忠(權介) (1278年)
源長通(1294年)

室町時代

信濃守
坊門清忠(藤原清忠)(權守)(1334年)
白川資英王(1334年)
小笠原貞宗(1334年左右?)
左近少將入道某(1335年左右?)
堀河光繼(1335年)
仁科重貞(1336年左右?)
風間信昭(1338頃?)
太田某(1340年左右?)
藤原基隆(權守) (1346年)
諏訪賴嗣(權守) (1347年)
源利治(1347年)
安倍豐房(權守) (1350年)
藤原行盛(1350年)
諏訪賴嗣(升格為信濃守) (1350年左右?)
源秀時(1351年)
諏訪直賴(1351年左右?)
安倍泰規(1352年)
海老名某(1352年左右?)
蜂谷某(1353年左右?)
小笠原某(1353年左右?)
久我具通(權守) (1358年)
安東高泰(1358年左右?)
諏訪某(1358年左右?)
八代某(1358年左右?)
山代某(1358年左右?)
武田義武(1359年左右?)
岡本富高(1364年左右?)
小笠原長基(1365年左右?)
二宮貞家(1366年)
白川顯邦王(權守) (1375年)
白川資方王(權守) (1383年左右?)
二宮氏泰(1386年左右?)
小野氏信(1392年左右?)
信濃介
久我通相(權介) (1334年)
藤原實長(1342年)
源有范(1347年)
中山滿親(權守) (1390年)